上村博,大辻都 『アートライティング1 アートを書く・文化を編む』
位置: 43
モノがただそこにあるというだけでは何の価値も発生しません。モノが人々の共有する意味づけのシステムに組み込まれて初めて、そこに価値が生まれます。その意味づけのシステムこそ、文化と呼ばれるものです。文化はモノの集積でもなく、データベースの情報でもなく、モノに対する意識です。何かが素晴らしい、大事である、という価値の感覚は個人の主観的なものでもありますが、しかしまたその感覚は、熱いとか痛いといった生理的な感覚とは異なり、きわめて社会的なもので、文化という共有された価値のシステムが、ひとりひとりの感性と相俟って生み出すもの 位置: 67
芸術」を広い意味にとって、人間が後天的に身につけた技や知恵の総体と考えるなら、ことばを使うということも芸術なのですが、それは他のさまざまな芸術とは格段に伝達や学習が容易な特別な芸術
位置: 82
書き記す、ということには、
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西洋では、古来、作品記述のことを「エクフラーシス」ekphrasisということばで言い表してきました。エクフラーシスとは描写というような意味ですが、特に造形的な作品をことばで言い表す技術を指してい
位置: 120
ギリシャ語で、制作することを「ポイエーシス」poiesisと言いますが、これは英語のポエジーの語源で、ことばを用いて制作をおこなう詩や演劇も含みます。エクフラーシスはポイエーシスを語ることばでありながら、それ自体、ポイエーシスのひとつ
位置: 238
カタログ・レゾネ catalogue raisonneという、ひとりの作家の作品データを体系的に網羅する書物がありますが、それに通じる大切な仕事
位置: 250
自画自賛とは、今日、自分で自分の仕事を褒め称えるという意味で使われ、それはそれで間違いではありませんが、もとは自分の描いた絵画に自分で文章を添える、というほどの意味
位置: 268
そもそも、絵画と詩文とのあいだに照応関係があることは意識されていました。たとえば、北宋の 蘇軾 は、唐の詩人で絵
位置: 269
良くした王維を評して「詩中に画あり、画中に詩あり」と書いています(王維《藍田煙雨図》
位置: 276
古代ギリシャの詩人シモニデースは「詩は話す絵画、絵画は無言の詩」ということばを残していますし[ 註 13]、ローマ時代のホラーティウスも『詩論』で、「詩は絵のように」ut pictura poesis[ 註 14] と書いてい
位置: 297
芸術作品とアートライティングとでは決定的な違いがあります。それは、経験させるのか、経験の理解をさせるのかの違いです。芸術作品はことばとかかわりつつも、その本質的な意味は感覚や感情によって捉えられます。そして優れた作品は言語では得られないような深い経験を与えてくれます。それに対して、アートライティングは感性的な経験とは別物で、経験そのものというより、むしろその経験を明確な概念で理解させ
位置: 302
経験しなければ意味がわからない、そしてその特定集団の一員でなければ本当の意味でそれを経験ができない、というのは文化の宿命のようなものです。実際、身体的に意味づけを共有できていない異文化の経験は非常に困難です。しかしその閉ざされた経験を開いて他者と共有することもできます。それがことばの力
位置: 308
その周辺以外にはなかなかすぐに理解されるものではありません。文化的な価値を世代や地域を超えて伝達し共有するには、ただ経験に埋没するだけではなく、ことばによって経験を方向づける必要があります。それこそがアートライティングの役割
位置: 350
おおまかに三つのパタンに即して見ていきたいと思います。それは、作品を作者の表現として見るのか、作品を時代の反映として見るのか、あるいは作品を実社会からは独立した世界と見なすのか、という三とおりの芸術の捉え方
位置: 424
こうした作者と作品との関連づけは、十九世紀フランスの批評家サント=ブーヴ(一八〇四?六九) や、哲学者テーヌ(一八二八?九三) によって、意識的な批評の方法論になってゆき
位置: 458
芸術作品は特定の時代や社会のなかで作られた、きわめて複雑な文化的構成物です。異文化の産物に対して、先入観抜きで純粋な目で接する、というのは大人はもちろん子どもでも困難です。ついつい自分の狭い知識の範囲で、色眼鏡をかけてモノを眺めてしまいます。キャプションや解説を読むことで、記憶や先入観を矯正し、作品へのまなざしを方向づけることは決して無益なことではありませ
位置: 463
ヘーゲルは芸術を時代や民族の精神が表現されたものとして、壮大な歴史を語ります[ 註
位置: 473
作品をそれが生まれた風土や自然と結びつける言説はたいへんに力があります。ショパンのポロネーズについて、外国に抑圧された彼の祖国を語り、シャガールについてロシアのユダヤ人コミュニティを想起する、というような具合です。これは十九世紀のロマン主義以降に非常に流行しました。日本国内でも、たとえば小出楢重については関西の風土が、棟方志功について東北のそれがしばしば引き合いに出されるのが見つかるでしょう。また、作家性の希薄な工芸品については、なおのこと風土と結びつけて語られ
位置: 488
芸術の自律的な領域を主張する「芸術のための芸術」という考え方もあります。このことばは十九世紀はじめの哲学者クーザン(一七九二?一八六二) が使っていますし、また作品の表現する世界のほうがより真実であるとする見方は、彫刻家ロダン(一八四〇?一九一七) がジェリコーの馬の絵について語ったとされることばにも表れています。先に《メドゥーサ号の筏》の話を出しましたが、その作者ジェリコーは馬の絵を得意としていました。ルーヴル美術館に有名な競馬の絵があります。ところが、一八七八年にイギリスの写真家マイブリッジ(一八三〇?一九〇四) が馬の走る連続写真を撮影したところ、その撮影されたどの写真もジェリコーの描いた馬とは違っていました。写真に基づいて馬を描く画家たちがジェリコーを批判しているのを知ったロダンは、写真ではなくジェリコーのほうが正しい、ジェリコーの絵は実際に馬が走っているように見えるのだから、と言いました。写真は時の流れを捉えていない、というわけです[ 註
位置: 501
よりはっきりと作品そのものを批評するという姿勢があらわになるのは、十七世紀から十八世紀のフランスにおいて「 美術」beaux-artsという概念が生まれてからです。芸術作品の原理や構成要素が議論され、またさまざまな芸術家がそれぞれどのような点で秀でているのかなど、作品や作者の特質に関心が向かうようになります。それまでは、ヨーロッパでは芸術に関する文献はおおむね制作する側の手になるものが多かったのですが、十八世紀以降は文学者や哲学者たちが芸術論を著し